9月6日『尋ね求めるなら』エレミヤ書29章11~14節福島牧師
9月14日
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旧約聖書は預言者の説教の集大成。エレミヤも預言者として、新バビロニア帝国初期に迫害投獄されても神への悔い改めを語り続けました。この手紙はバビロン捕囚の人々に、振り回されずに落ち着いて生活し、卑屈にならずバビロニアのために祈ることをも勧めます。エレミヤの名は「ヤハウェは建設する」の意味。人の欠点、弱さを越えて主が建てられるのです。エレミヤ書の冒頭に召命体験が記されます。「母の胎から生まれる前に、私はあなたを選別し諸国民の預言者として立てた…若者にすぎないといってはならない…彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す」と励ますのです。苦難の預言者として知られますが、苦難の中で主の臨在を経験し、力としたのです。神が呼び出し、用いる。それが召命です。召命感との葛藤もあります。でも心配ありません。神が立てているのですから。むしろその葛藤が大切なのです。それを通して主の仕え人とされ、皆が祝されるのです。預言者は人々を生かすために神の言葉を語り、神によって呼び出された者。神に尋ねつつ歩む時、誰もが主の仕え人、預言者となるのです。世界で愛される聖句の2番目が11節「あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている…それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるもの」です。愚痴をこぼしたって構わない。エレミヤは私達の手本となるべく神に尋ね求め続けたのです。人の思いを超えた神の計画があります。「訪ね」られなくても、与えられた場で繰り返し神様に「尋ね」求めながら歩みたいものです。



