10月18日『はかない話』 詩編 39章3~10飾 福島牧師
10月25日
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昔、クリスチャン作家の椎名麟三氏は受洗の際「洗礼を受けて一番よかったのは、これで死ぬときに『苦しい』とか『死にたくなかった』とか、醜く叫びながら死んでゆく覚悟が出来た」と委ねられる喜びを記します。三浦文学記念館初代館長は文学評論家としてキリスト教や三浦文学への造詣も深い方でしたが、館長就任時は未信者でしたが、やがて癌末期に牧師を招き受洗。「ドフトエフスキーに傾倒した者として、自分の中の善と悪を決着をつけようとして来た。今は、イエス・キリストを仲介者として神に委ねたい。これが私の懺悔
であり告白…自分は哲学の徒として疑うことを通し、絶対的存在である神に近づきたいと願ってきた。それを承知願いたい。…アーメンという言葉をずっーと言いたかった」と委ねられる喜びを語るのです。詩人も死の近いのを悟る中、安易に神に委ねるのは自己逃避と考え「いかに私がはかないものか、悟るように」と神に委ねられない自分が情けなく、自立すべき思いが「空しい」とさせ、涙し、叫び、沈黙するのです。詩人は神から命を与えられ、愛される者だと知ることで大胆に神に願うのです。「私を立ち直らせてください。私が去り、失われる前に」…それは幼児が親に駄々をこねるようですが、神への深い信頼から委ねる姿です。はかない人生ではありません。惨めな自分でも神は見捨てられないと知ったからです。椎名麟三の言葉を借りれば「醜く叫びながら死んでゆく覚悟」が39編を包みます。パウロはロマ書8章で「キリストによって示された神の愛から私たちを引き離すことはできない」と言いました。その委ねる信仰を覚えたいのです。



