10月18日『はかない話』 詩編 39章3~10飾 福島牧師
昔、クリスチャン作家の椎名麟三氏は受洗の際「洗礼を受けて一番よかったのは、これで死ぬときに『苦しい』とか『死にたくなかった』とか、醜く叫びながら死んでゆく覚悟が出来た」と委ねられる喜びを記します。三浦文学記念館初代館長は文学評論家としてキリスト教や三浦文学への造詣も深い方でしたが、館長就任時は未信者でしたが、やがて癌末期に牧師を招き受洗。「ドフトエフスキーに傾倒した者として、自分の中の善と悪を決着をつけようとして来た。今は、イエス・キリストを仲介者として神に委ねたい。これが私の懺悔 であり告白…自分は哲学の徒として疑うことを通し、絶対的存在である神に近づきたいと願ってきた。それを承知願いたい。…アーメンという言葉をずっーと言いたかった」と委ねられる喜びを語るのです。詩人も死の近いのを悟る中、安易に神に委ねるのは自己逃避と考え「いかに私がはかないものか、悟るように」と神に委ねられない自分が情けなく、自立すべき思いが「空しい」とさせ、涙し、叫び、沈黙するのです。詩人は神から命を与えられ、愛される者だと知ることで大胆に神に願うのです。「私を立ち直らせて
10月25日
10月 11日『こころ配り』イザヤ書58章6~11飾福島牧師
幼稚園では秋の収穫物を前に収穫感謝礼拝をもちました。敗戰間もない食糧難では判事すら栄養失調で亡くなっています。1947年1月16日(木)、旭川豊岡教会の三上豊牧師も栄養失調で天に召されます。Xmas礼拝はキリスト教ブームで礼拝堂は学生で満杯でも献金は少なく、牧師を支えられません。当時の学生が後に教会の役員となった時、三上牧師を痛みに覚え「隠退教師を支える運動」として、教区総会に提案、教団総会でも満場一致の採決となります。仏教で断食修行がありますが、キリスト教も修道院で断食しました。アドペントやレント(受難飾の1ヶ月間を主の苦しみ、飢え渇きにある人々の痛みを覚え祈って過ごすのです。断食で超能力が得られるなら、食糧難には超能力者だらけですが、それはありません。ユダヤ教の断食も出エジプトの困難な旅を想い、貧しく困難な人々を覚えるためです。イザヤ書は「断食とは虐げられた人を解放し…飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら」と記します。マザーテレサは若い頃にマタイ25:40「最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたこと」に惹かれ、イ
10月18日
10月4日「待っておられる神、共におられる神」ルカ福音書15章13~19節 久保木 崇 伝道師(とわの森三愛高校宗教主任)
有名な「放蕩息子のたとえ」ですが、実はこの話、二人の息子を等しく愛す父親の話なのです。弟息子は放蕩を尽くして無一文となり、人生の瀬戸際で正気に立ち戻ります。父の所へ決意して帰る弟。父遠く離れた所で弟息子を見つけます。毎日、道に立って待っていた父だからこそ見つけたのです。父は弟を抱きしめ、全てを失った息子に必要なものを、父が与えたいものを全部与えました。見返りを求めずに与えたのです。全て父から与えられる恵み、これが救いの恵みなのです。キリストの十字架と復活による救い、神との関係の回復こそがそれなのです。兄息子はこれに文句を言いますが、父は兄をなだめ叱責するのではなく祝宴に招くのです。この二つの話は、いずれも父親の方から息子に歩み寄るのです。弟のためには駆け寄り、兄のためには父の方から外に出できて近く向き合ってくださるのです。待っておられるのも、共におられるのも同じ父、その愛は 神の救いはこの神の愛によるのです。神の愛は主の十字架の赦しと救いの福音として与えられました。ご一緒にこの福音を受け入れる者、宣べ伝える者として神の愛の内を歩みたく思います。
10月12日
9月27日『体のともし火』ルカ福音書11章33~36飾福島牧師
韓国で最も愛される聖句がロマ書8:28「万事が益となるよに共に働く」と聞きます。辛い時、悲しい時の慰め希望としてきたのです。聖書に「ともし火」が繰り返されます。著者ルカの名は「光を与える」の意味。闇に勝利する光であるキリスト、その光を託された仕え人の責任を心に留め記します。人々を暗くさせるか、光となるのかを問うのです。聖書の言葉を光の燃料とし、み言葉の力を受け、主の光を放つ者でありたいとルカは願うのです。イエス様が住んだ山間部ナザレは人口300人の洞窟の町でした。「ともし火」は生活必需品で隠す必要もないし、小さいなりの役割がありました。大切なのは主の仕え人としての「ともし火」となっているのか否かなのです。イエス様は「体のともし火は目」、目が澄み、目に輝きがある人は全身も明るいけれど、目が濁っていれば暗い。だから「あなたの中にある光が消えていないか調べなさいと言われます。夜に街灯の明るさで付け忘れた車のライトを対向車が知らせるよう、隣人との関りで知りますし、孤独闇は人に輝きを失っていることを知らせます。消えたことが問題ではありません。また繰り返し灯
10月3日