7月12日(日)『旅の目的』創世記24章54~61節福島牧師
7月19日
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古い諺に「可愛い子には旅をさせよ」があります。「その子を大切に思うなら、甘やかさず、外に出し、苦労や経験を積ませるべき」の意味。聖書では誰もが「神の子」、老いて動けなくなっても聖書の心に重ねれば「心の旅」は広がります。或る教会員は癌末期の集中治療室で自分の現在・過去・未来への旅の歩みを神の心に重ね、祝された確信の中、天の故郷へ向われた。聖書での最初の旅は信仰の父・アブラハムから始まります。75歳で主の召命を受けてから百年に渡る旅でした。祝された旅とはいえ辛い経験もします。異国での旅の途中で最愛の妻サラを亡くし、聖書で最初の葬儀となります。息子のイサクのパートナー探しを最も信頼する僕に命じます。僕に託された基準は「旅人への思いやり、尊敬、神への敬虔」でした。僕は井戸の前で待つと、その女性が現れました。旅人のために深い井戸から水を汲み、ラクダにまで労をいとわない姿に僕は確信します。彼女も僕の敬虔な姿、家族兄妹親族へ気配りに、申し出を快諾するのです。そうして遠くで待
つアブラハムの祈りは神様に聴かれるのです。「旅の目的」が4回記され、旅の明確な目的が困難な旅を続ける力となります。パウロの伝道旅行は神の国建設が目的で、かつて伝道の賀川豊彦牧師は、労を厭わず神の国運動の志ある所を訪ね励まします。江別のかつてのキリスト村もその一つ。神の国とは愛なる神が治められる所。イエス様もマルコ福音書冒頭で「時は満ち、神の国は近づいた…」と宣言して旅を始めます。初代教会の多くは今は痕跡もありませんが、その目的は人々へ引き継がれているのです。「旅の目的をかなえさせて
下さるのは主」。旅を続ける皆様の上に主の導きを祈ります。



